柔整の味方を名乗る前に。批判と自己保身を分ける話
瀬谷崎コラム
外からの批判より、内側の逃げ方が業界を弱くする
柔道整復師への批判には、的外れなものもあります。ただし、すべてを「分かっていない人の攻撃」として片付けると、本当に向き合うべき問題まで見えなくなります。
僕は柔整が好きです。
柔道整復師という仕事に対して、的外れな批判が向けられている時には、できるだけ批判的な立場を取りたいと思っています。
ただ、それと同時に、柔整師側が批判されるべき問題については、もっと積極的に批判的でありたいとも思っています。
ここを混同すると、話がかなりおかしくなります。
外部からの批判を全部敵視する。
業界内の問題を指摘されたら、相手の人格や属性に話をずらす。
「どうせ暇なんだろう」「他責思考なんだろう」「知識がないんだろう」と言って、論点そのものから逃げる。
それは柔整を守っているようで、むしろ柔整の立場を弱くしていると思います。

まなぶ先生

瀬谷崎
まず、批判の種類を分ける
柔整への批判といっても、全部が同じではありません。
例えば、制度や資格の理解が曖昧なまま、柔道整復師の仕事そのものを雑に否定するような批判があります。
これは反論していいと思います。
一方で、療養費制度の悪用、実態と違う説明、誤解を生む広告や表記、適応外への介入など、柔整師側が本当に直さないといけない問題もあります。
これは、外部から指摘されたから腹を立てる話ではありません。
むしろ、こちら側が先にやらないといけない宿題です。
制度や資格の前提を誤解したまま、柔道整復師全体を雑に否定するようなもの。
療養費制度の不適切な利用、誤解を生む表記、患者への説明不足など、業界側が改善すべきもの。
問題は、この二つを意図的に混ぜることです。
本当は業界側に問題があるのに、「柔整を叩きたい人たちが騒いでいるだけ」と処理してしまう。
あるいは、的外れな批判に反論する勢いで、真っ当な指摘まで雑に踏みつぶす。
これをやると、議論ではなく、ただの内輪の防衛になります。
療養費制度の悪用は、外部のせいにできない
柔道整復師の施術に係る療養費は、制度として非常に重要です。
厚生労働省の説明でも、療養費は本来、患者が費用を支払った後に保険者へ申請して支給を受ける仕組みであり、柔道整復では例外的な取扱いとして受領委任が認められています。
つまり、制度上の信頼があって成り立っている部分があります。
だからこそ、その制度を悪用する行為は、柔整師全体の信用を削ります。
これは、外部から批判された時に「分かっていない」と怒れば済む問題ではありません。
制度を使う側が、制度の適正な運用に責任を持つ必要があります。
療養費制度への批判がすべて正しいわけではありません。ただし、制度の悪用や不適切な申請があるなら、それは柔整師側が向き合うべき問題です。外部批判を抑え込んでも、根本的な解決にはなりません。
「マッサージ」の話は、論点を分けないと荒れる
今回のような「マッサージ」という言葉をめぐる議論も、論点を分けないとすぐに荒れます。
個人的には、大きく二つに分けて考えた方がいいと思っています。
一つ目は、柔道整復師が自分の施術を「マッサージ」と表現したり、そのように広告・説明したりしているケースです。
これは、実際に行われているなら、業界側がきちんと正すべき問題です。
厚生労働省も、あん摩、マッサージ、指圧、はり、きゅう、柔道整復は、それぞれの免許が必要であり、無免許で業として行うことは処罰対象になると説明しています。
少なくとも、患者さんに誤解を与える表現は避けるべきです。
二つ目は、第三者が柔道整復術を見て「マッサージに似ている」と感じるケースです。
これは、また別の話です。
視認した印象として似ていると言われても、それだけで柔道整復術そのものを否定するのは雑です。
柔整師側が「マッサージ」と表記・説明している問題と、第三者が見た目として「マッサージっぽい」と感じる問題は、同じようで別物です。前者は業界側が正す話。後者は相手の認識や説明の問題として扱う話です。
ここを分けずに、全部まとめて「柔整への攻撃だ」と受け取ると、話が前に進みません。
逆に、全部まとめて「柔整師はマッサージをしている」と決めつけるのも乱暴です。
だからこそ、議論の前に論点を分ける必要があります。
自己保身を、業界愛と呼ばない
柔整師側への批判が向けられた時に、すぐ相手を小馬鹿にする人がいます。
「暇なんだろう」
「他責思考なんだろう」
「知識がないんだろう」
こういう言葉で、批判の中身を検討せずに相手の人格へ話をずらす。
これは、柔整の味方をしているのではなく、ただ自分たちの居心地の良い場所に逃げているだけだと思います。
本当に柔整の立場を高めたいなら、外部の批判を黙らせることより、柔整師側の課題を減らすことの方が大切です。
制度の適正運用。
患者さんへの説明。
広告や表記。
臨床の質。
適応外を疑う力。
ここに向き合わずに、「柔整を叩くな」とだけ言うのは、正直かなり弱いです。

まなぶ先生

瀬谷崎
議論の前に、前提をそろえる
議論で大事なのは、まず前提をそろえることです。
何について話しているのか。
批判の対象は、制度なのか、個別の施術所なのか、資格そのものなのか、広告表現なのか。
「マッサージ」と言っているのは誰なのか。
柔整師自身なのか、患者さんなのか、第三者なのか。
療養費の問題なのか、自費施術の説明なのか。
ここをそろえないまま議論すると、だいたい不毛になります。
- 批判の対象が何かを明確にする
- 制度の話と個人の感想を分ける
- 表記の問題と施術内容の問題を分ける
- 的外れな批判と真っ当な批判を混ぜない
- 相手の人格ではなく、論点に反論する
もちろん、SNSでそれを丁寧にやるのはかなり難しいです。
むしろ、前提がそろわないまま、言葉だけが燃えていくのがSNSの醍醐味みたいなところもあります。
ただ、少なくとも専門職を名乗るなら、論点の切り分けくらいは持っておきたいところです。
柔整の価値は、外に怒るだけでは上がらない
柔整への的外れな批判には、反論していいと思います。
柔道整復師の仕事を雑に扱われた時に、腹が立つのも分かります。
ただし、柔整師側に本当に問題がある場合、それを指摘した人まで敵扱いするのは違います。
療養費制度の悪用。
誤解を生む表記。
患者さんへの説明不足。
適応外への無理な介入。
これらは、外から批判される前に、柔整師側が減らしていくべき問題です。
業界の立場を高めるのは、外部批判を抑え込むことではありません。
こちら側の課題を、こちら側で潰していくことです。

瀬谷崎
参考資料













