1万時間の法則は本当か?セラピストが知っておきたい成功法則との距離感

その成功法則、便利すぎるから少し怪しい

「1万時間やれば一流になれる」「見た目が9割」「教えると90%定着する」。こういう言葉は覚えやすいし、人にも話しやすいです。ただ、使いやすい言葉ほど、現場にそのまま持ち込む前に一度疑った方がいいと思っています。

有名な法則は、判断材料のひとつにはなります。でも、それだけで人の成長、患者さんへの説明、院の経営を決めるのは危険です。大事なのは、言葉のキャッチーさではなく、その法則がどこまで確かめられているかです。

セラピストの業界でも、ビジネス書や心理学っぽい言葉はよく出てきます。

「上位20%のお客さんが売上の80%を作る」

「能力が低い人ほど自信満々になる」

「言葉より見た目が大事」

「人に教えるのが一番学べる」

「1万時間やれば成功する」

どれも、聞いたことがある人は多いと思います。

もちろん、全部を全否定したいわけではありません。現場の感覚として「分かる」ところもあります。

ただ、ここで少し辛口に言うと、分かりやすい法則を、分かった気になるために使ってしまうことがあります。これは臨床でも経営でもけっこう危ないです。

まなぶ先生
まなぶ先生

たしかに、数字が入ってる法則って説得力ありますよね。80対20とか、90%とか、1万時間とか。

瀬谷崎
瀬谷崎

そう。数字が入ると急に賢そうに見えるんです。でも、その数字がどこから来たのかを見ないと、ただの雰囲気の良い言葉になりやすいです。

80対20で、患者さんやスタッフを雑に見ない

パレートの法則、いわゆる80対20の法則はかなり有名です。

「売上の80%は、上位20%の顧客が作る」

「成果の80%は、20%の努力から生まれる」

こういう形で語られることが多いですね。

考え方としては便利です。全部に同じだけ力をかけるのではなく、重要なところを見極める。これは経営でも臨床でも大事です。

ただし、本当にいつも80対20なのかという話になると、かなり怪しくなります。

「上位だけ見ればいい」と雑に使い始めた瞬間に、法則ではなく言い訳になります。

たとえば院の経営で、「上位の患者さんだけ大事にすればいい」と考えたらどうでしょう。

それはもう、かなり危ないです。

患者さんは売上の単位ではありません。通院頻度が少ない人にも、その人なりの生活や困りごとがあります。

スタッフ教育でも同じです。今は目立たないスタッフが、半年後に伸びることもあります。逆に、今よく売上を作っている人が、雑な説明や無理な提案で信頼を落としていることもあります。

80対20は、重点を考えるための入口にはなります。でも、人を切り捨てる根拠にするには、だいぶ乱暴です。

「自信満々だから能力が低い」と決めつけない

ダニング・クルーガー効果も、SNSでよく見ます。

ざっくり言うと、「能力が低い人ほど、自分の能力を高く見積もりやすい」という話です。

この考え方自体は、自己評価のズレを考える上で面白いです。新人が自信満々に見えることもあるし、少し学んだ人が急に強い言葉を使い始めることもあります。

でも、有名な曲線グラフだけを見て「この人は馬鹿の山にいる」と決めつけるのは、かなり雑です。

ここは注意

自己評価が高いことと、能力が低いことは同じではありません。逆に、自信がなさそうに見える人が、必ず優秀というわけでもありません。

臨床でも同じで、ひとつの所見だけで決めつけると判断を間違えます。

自信の出し方、説明の内容、実際の評価力、患者さんへの向き合い方、改善のスピード。いろいろ見て初めて、その人の状態が分かります。

「あの人はダニング・クルーガーだね」とラベルを貼るのは簡単です。

でも、そのラベルを貼った瞬間、自分の観察が浅くなることもあります。

「見た目が9割」で、言葉を軽く扱わない

メラビアンの法則も、かなり誤用されやすい言葉です。

「言語情報は7%、声のトーンが38%、見た目が55%」

だから、話の内容より見た目が大事。こういう文脈で使われることがあります。

でも、もともとの研究はかなり限定的な状況です。感情を表す言葉と、声や表情が食い違った時に、人がどの情報を重視するかという話です。

つまり、日常会話や患者説明のすべてに対して「言葉は7%しか意味がない」と言っているわけではありません。

まなぶ先生
まなぶ先生

でも、見た目や声の印象が大事なのは本当ですよね?

瀬谷崎
瀬谷崎

もちろん大事です。ただ、「だから言葉はどうでもいい」となるのが危ない。患者さんへの説明は、言葉の中身で安心にも不安にもなります。

整骨院や治療院では、言葉の使い方がとても大事です。

「このままだと悪くなります」

「骨盤がズレています」

「一生付き合うしかありません」

こういう言葉は、患者さんの身体感覚や不安に影響します。

見た目や声の印象を整えることは大事です。でも、それは言葉を雑にしていい理由にはなりません。

「教えれば90%定着する」も、そのまま信じない

ラーニング・ピラミッドも、研修や教育の場でよく見ます。

講義は5%、読書は10%、実演は30%、教えると90%定着する。

一見、かなり分かりやすいです。

だから「講義は意味がない」「とにかく人に教えさせればいい」という話になりやすい。

でも、このパーセンテージには信頼できる根拠が乏しいと指摘されています。

教育で大事なこと

教えることは学びになります。ただし、土台の理解がないまま人に教えさせても、間違いを広げるだけになることがあります。

とんとん整骨院でも、後輩に教えることは大切にしています。

ただ、それは「教えれば勝手に90%定着するから」ではありません。

自分が何を理解していて、どこが曖昧なのかが見えるからです。

質問された時に答えられない。説明しているうちに、自分の理解が浅いことに気づく。そこに意味があります。

講義も、読書も、実技練習も、ロープレも、後輩指導も、それぞれ役割があります。

どれかひとつを絶対視するより、目的に合わせて組み合わせる方が現実的です。

1万時間やれば一流、ではない

1万時間の法則は、かなり夢があります。

1万時間やれば一流になれる。

努力すれば報われる。

こう聞くと、頑張る理由にはなります。

僕は努力を否定したいわけではありません。むしろ、ちゃんと上手くなりたいなら、時間をかけて練習することは必要です。

ただし、何でもいいから1万時間やればいいという話ではありません。

同じ施術を1万時間ただ繰り返しても、考え方が変わらなければ、同じミスを1万時間強化しているだけかもしれません。

もともと重要なのは、意図的な練習です。

何を改善するのかを決める。フィードバックを受ける。苦手なところに向き合う。できることをただ繰り返すのではなく、少し背伸びした課題に取り組む。

これは、ただ現場に長くいることとは違います。

10年働いていても、問診が雑な人はいます。逆に、数年でも考えながら練習している人は伸びます。

時間は必要です。でも、時間だけでは足りません。

よくある法則 現場での落とし穴 使うならこう見る
80対20の法則 上位だけを見て、他の患者さんやスタッフを軽視する 重点を考えるための仮説として使う
ダニング・クルーガー効果 自信がある人をすぐ能力不足と決めつける 自己評価と実力のズレを考える材料にする
メラビアンの法則 患者さんへの説明内容を軽く扱う 表情・声・言葉の一致を意識する
ラーニング・ピラミッド 講義や読書を無意味と決めつける 学習方法ごとの役割を分けて考える
1万時間の法則 長くやれば勝手に上手くなると思い込む 意図的な練習とフィードバックを重視する

とんとん整骨院が大切にしていること

臨床でも経営でも、分かりやすい言葉は必要です。

患者さんに説明する時も、スタッフに伝える時も、難しいことを難しいまま言えばいいわけではありません。

ただ、分かりやすくすることと、雑にすることは違います。

「この法則ではこうだから」と言えば、考えなくて済みます。

でも、本当はそこからが仕事です。

目の前の患者さんには当てはまるのか。

このスタッフにはどう伝えると伸びるのか。

この院の状況で、その考え方を使っていいのか。

法則を覚えることより、法則をどこまで信じていいか考えることの方が大事です。

少し辛口に言うと

キャッチーな法則をそのまま振り回すのは、知識があるように見えて、実は思考停止になっていることがあります。現場はもう少し面倒くさいし、その面倒くささから逃げない方がいいです。

便利な法則と付き合う時の見方

では、こういう成功法則や心理学っぽい言葉を全部無視すればいいのか。

それも違うと思います。

大切なのは、使い方です。

  • その法則が、どんな研究や文脈から出てきたのかを見る
  • 数字が独り歩きしていないか確認する
  • 自分の現場にそのまま当てはめてよいか考える
  • 例外や反対の可能性を残しておく
  • 人を決めつけるラベルとして使わない

特にセラピストは、患者さんの身体や不安に関わります。

だからこそ、言葉の扱いには慎重でいたいです。

「研究で分かっています」

「心理学的にこうです」

「成功者はみんなこうしています」

こういう言い方は強いです。強いからこそ、雑に使うと危ない。

論文や法則は、現場を楽にするための道具ではあります。でも、現場を見なくてよくなる免罪符ではありません。

法則より、目の前の現実を見る

成功法則は、話としては面白いです。

覚えやすいし、人に伝えやすいし、行動のきっかけになることもあります。

でも、それをそのまま信じすぎると、患者さんやスタッフを単純な枠に押し込めてしまいます。

大事なのは、法則を知ることではなく、法則の限界を知ることです。

現場は、いつも例外だらけです。

だからこそ、ひとつの言葉で分かった気にならず、目の前の人と状況をちゃんと見る。

地味ですが、そこが一番強いリテラシーだと思っています。

瀬谷崎
瀬谷崎

有名な法則を知っていることより、「それ、本当にこの場面で使っていいの?」と一回止まれること。その方が、臨床でも経営でもずっと大事だと思います。

参考

  • Sharp B, Romaniuk J, Graham C. Marketing’s 60/20 Pareto Law. 2019.
    SSRN
  • Kruger J, Dunning D. Unskilled and unaware of it. Journal of Personality and Social Psychology. 1999.
    PubMed
  • Jansen RA, Rafferty AN, Griffiths TL. A rational model of the Dunning-Kruger effect supports insensitivity to evidence in low performers. Nature Human Behaviour. 2021.
    Nature Human Behaviour
  • Mehrabian A, Ferris SR. Decoding of inconsistent communications. Journal of Personality and Social Psychology. 1967.
    CiNii Research
  • Masters K. Edgar Dale’s Pyramid of Learning in medical education: A literature review. Medical Teacher. 2013.
    Taylor & Francis Online
  • Ericsson KA, Krampe RT, Tesch-Romer C. The role of deliberate practice in the acquisition of expert performance. Psychological Review. 1993.
    CiNii Research
  • Macnamara BN, Maitra M. The role of deliberate practice in expert performance: revisiting Ericsson, Krampe & Tesch-Romer (1993). Royal Society Open Science. 2019.
    PMC
瀬谷崎将也
株式会社とんとん/とんとん整骨院 代表。臨床系セラピストスクール「ANOアカデミー」主宰。

とんとん整骨院 代表。柔道整復師として、都内に鍼灸整骨院4店舗・鍼灸院1店舗を運営。多くの患者と関わる中で、「痛み」や「慢性疼痛」への深い理解の必要性を痛感し、EBM(根拠に基づく医療)・バイオメカニクス・BPSモデル(生物心理社会モデル)を軸とした臨床を実践。その知見をもとに、臨床系セラピストスクール「ANOアカデミー」を主宰し、セミナー運営など施術者の育成・教育にも精力的に取り組んでいる。

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