効果は「ある/ない」の二択ではない。介入を断定で語らない臨床の構え
セラピスト向け
その介入、「効かない」と決めたのは誰か
効果があると言い切れる介入は、ほとんどない。これはもう、多くのセラピストが共有している感覚だと思います。けれど、その裏返しもまた同じです。「この介入は効かない」と断定することも、実は同じくらい根拠が薄い。僕らが向き合っているのは集団の平均ではなく、目の前のひとり。機械ではなく、人間だからです。
効果があると断言できる介入は、ほとんど存在しない。
これは、エビデンスの考え方が広まるなかで、ずいぶん共有されてきた感覚だと思います。
ただ、その学びには続きがあります。同じ理屈をひっくり返すと、「この介入は効かない」と断定することも、本当はとても難しい。「効く」を言い切れないのと同じ構造で、「効かない」も言い切れないのです。
この記事では、なぜ効果の両端(効く・効かない)を断定しにくいのか、そのうえで日々の臨床でどう構えるのかを整理してみます。
「効く」と言い切れない、はもう共有されている
ランダム化比較試験(RCT)が示してくれるのは、あくまで集団の平均的な効果です。平均で差があったとしても、目の前のひとりが平均どおりに反応してくれる保証はありません。
効果量、信頼区間、反応する人としない人のばらつき。こうした視点が広まったことで、「この介入は効く」と個人に対して言い切るのは飛躍だ、という理解はかなり浸透しました。
ここまでは、多くの方がうなずいてくれるところだと思います。問題は、その先です。
まなぶ先生
教子先生
瀬谷崎
見落とされがちな裏側。「効かない」と切り捨てる危うさ
平均で差が出なかった介入でも、その中身を見ると、よく反応した人と、まったく反応しなかった人が打ち消し合っているだけ、ということがあります。集団としてはフラットでも、個人のレベルでは動いている。いわゆる効果の個人差(治療反応の異質性)です。
さらに、僕らが扱うのは人間です。期待、説明、関係性といった文脈の要素は、機械を相手にするなら雑音かもしれませんが、人間が相手だと、結果そのものの一部になります。
だから「この介入は効かない」と断じてしまうと、選択肢を狭めるだけでなく、患者さんの主観的な変化や、自分で良くしていけるという感覚(自己効力感)まで否定しかねない。場合によっては、その否定そのものがマイナスに働くこともあります。
「効果がない」と「効果が証明されていない」は、同じではありません。根拠が見つかっていないこと(absence of evidence)を、無効の根拠(evidence of absence)と取り違えると、判断を一段見誤ります。
では、どう構えるのか
結局のところ、「効く」も「効かない」も、目の前のひとりに対しては言い切らない。両端の断定をいったん保留して、確率的に構えるのが現実的だと思っています。
事前にある程度の見込みを持って始め、一定の期間でしっかり反応を評価して、続ける・変える・やめるを決めていく。一度の好反応に飛びつかず、一度の無反応で切り捨てない。効果の判定は、時間軸と再現性のなかで見たいところです。
同時に、漫然と続けないための中止の目安もあらかじめ持っておく。「効く」と思い込んで続けてしまう断定も、「効かない」と決めつけて初めから外す断定も、危うさは同じだからです。
まなぶ先生
教子先生
瀬谷崎
並べてみると、構えの要点はこのあたりに集約されていく気がします。
- 「効く」も「効かない」も、目の前のひとりには断定しない
- 「証明されていない」を「無効」と読み替えない
- 事前の見込み → 介入 → 反応の評価、で判断を更新していく
- 続ける・変える・やめるの目安を、あらかじめ持っておく
効果は、白黒では決まらない
効果があると言い切れないのと同じ理屈で、効果がないとも言い切れない。これは煮え切らない態度に見えるかもしれませんが、相手が人間である以上、むしろ誠実な構えだと考えています。
大事なのは、グレーをグレーのまま放置することではなく、グレーのなかで見込みを立て、反応を見て、判断を更新し続けること。そのプロセスにこそ、セラピストの仕事があるのだと思います。
瀬谷崎





