「良くなりますよ」が慢性痛の患者さんを絶望させることがある。回復の物語から降ろす声掛けと、何もしないことの価値
セラピスト向け
前向きな声掛けが、患者を絶望の奥へ連れていくとき
何年も症状が続く患者さんに「良くなりますよ」と伝える。希望を持ってもらうための言葉が、かえって絶望を深めることがあります。逆に「その症状はもうどうしようもない」という突き放したような一言に救われた、瀬谷崎自身の体験があります。社会学者アーサー・フランクの「回復の物語」と、哲学者鷲田清一の「無条件のプレゼンス(そこに居合わせること)」を手がかりに、治癒という概念がない症状と付き合う患者さんへの関わり方を考えます。
「もう5年くらい続いていて」「病院に行っても異常なしと言われるだけで」。この業界で働いていれば、何年も症状が続いている患者さんは必ず来ます。長く続く不調に、不安、不満、怒り、悲しみ、孤独感を抱えた状態で来られる。だから私たちは原因を説明し、どう改善していくかを話し、「良くなりますよ」「当院に通われている方の多くは改善に向かっています」と前向きな言葉を掛けます。
その前向きな声掛けが、患者さんに絶望を与えている可能性があるとしたら、どうでしょうか。瀬谷崎が自身の病気の経験から、この問いを25分ほどの動画で話しています。本記事はその要点を、臨床で使える形に組み替えたものです。
瀬谷崎による一人語りの動画(約25分)。本記事は要点を絞っているので、言い回しや間合いは動画で確認できます。
まなぶ先生
教子先生
瀬谷崎「良くならない時は良くならないから」と言われて、世界が明るくなった
2017年か2018年の4月、新入社員研修をしていた頃、瀬谷崎はお腹を下し続け、下血が止まらなくなりました。病院で検査を受けて告げられたのが、潰瘍性大腸炎です。大腸の粘膜に炎症や潰瘍ができる原因不明の慢性疾患で、難病に指定されており、現時点で完治させる方法はありません。症状が落ち着く寛解と、ぶり返す再燃を繰り返しながら、一生付き合っていくことになります。(今はすっかり元気で、お酒もラーメンも口にしていますので心配は無用です。)
告げられた当時は「人生終わったな」と思ったそうです。発症から1〜2年は高い頻度で再燃を繰り返し、長いときは半年ほど下血が止まらない。再燃するたびに「腸を全部摘出することになったらどうしよう」とスマホで調べ続け、広告で出てくるサプリを何種類も買い、「これで治る」と謳う怪しい本を大量に読みました。
最終的に行き着いたのは、早寝早起き、バランスの良い食事、よく噛む、酒とコーヒーを控える、適度な運動という、ごく当たり前の生活習慣です。凝り性なので全部やりました。酒もラーメンも辛いものも封印した。それでも再燃するのです。
何もしていないなら「何もしていないからだ」と説明がつきます。全部やった上で駄目、こんなに頑張っているのに結果が出ない。これが絶望を一気に加速させました。
そんな状態でまた再燃し、かかりつけの医師に弱音を漏らします。「食事も気をつけているし、良さそうなことは片っ端からやっているのに、これ以上どうすればいいか分からないです」。返ってきたのは、こんな言葉でした。
「再燃はそこまで気にしなくていいよ。そこまで気をつけても、する時はするから。良くならない時はもう良くならないからね」
「どうせ一生付き合っていくんだから、今だけ頑張れることをやっても続かない。今後もずっと続けられることから始めてみたら?」
「たまにならラーメンもビールもいいんじゃない? でも、僕がちゃんと診てるから大丈夫だよ。そんなに心配しないでいいよ」
この医師は、深刻そうな患者に対して「大丈夫、良くなりますよ」とも「一緒に頑張りましょう」ともほぼ言っていません。言ったのは逆で、治りません、良くなりません、頑張っても意味がない時はある、です。それなのに、言われた瞬間に世界が明るくなった。
その後、極端な節制はやめ、外出も増えました。何より大きかったのは、漠然とした不安が解消され、潰瘍性大腸炎に思考を支配されなくなったことです。再燃すればまた落ち込みますが、病院に行くたびに「大丈夫、僕が診てるから」と繰り返し言ってもらえる。その医師がいるおかげで、今の瀬谷崎は本当に大丈夫なのだそうです。
回復の物語の罠。私たちは1つの物語に支配されすぎている
なぜ「良くならない」が希望になったのか。手がかりとして、社会学者アーサー・フランクの『傷ついた物語の語り手』(邦訳2002年)が挙げられます。フランクは、病の語りには3つの型があると言います。
- 回復の物語:健康だった人が病気になり、治療を受けて元通りになる物語
- 混沌の物語:いつまで続くか分からず、何をやっても効かず、終わりが見えない苦しみの中にいる物語
- 探求の物語:苦しみに正面から立ち、病を受け入れ、病を探求へつながる旅として捉えようとする物語
フランクが指摘するのは、医療が回復の物語以外の物語を締め出してしまう、ということです。評価して、原因を特定して、介入して、改善させる。学校や職場で習ってきた手順も、セミナーで売られているテクニックも、全部が回復の物語に乗っています。急性外傷ならそれで正しい。問題は、私たちがこの物語にあまりにも支配されすぎていることです。
患者さんが「何年も良くならない、何を試しても駄目」という混沌の物語の中にいるとき、私たちにはその人に語る言葉の引き出しがありません。だから無理やり回復の物語に乗せる(まだ良くなりますよと施術を続ける)か、諦める(うちでは対応できません)か、の2択になりがちです。
真面目な先生ほど、患者さんを良くしたくて回復の物語に乗せたくなります。ただ、乗せられ続けるほど、患者さんは「良くできるはずなのに良くならない」という、症状とは別の二重の苦しみを味わうことになる。医療側が一生懸命であるほど、患者さんを絶望の奥へ連れていってしまうわけです。
苦痛の苦痛。痛いこととは別に、痛みについての苦しみがある
哲学者の鷲田清一さんの『「聴く」ことの力』にある言葉として、動画では「苦痛の苦痛」が挙げられています。痛いことそれ自体の苦痛とは別に、「なんで自分がこんな目に遭わないといけないんだ」「いつまで続くんだ」という、痛みについての苦痛がある。
潰瘍性大腸炎の頃の瀬谷崎もまさにそれでした。「良くなるはずなのに良くならない」「やることはやっているのに結果が出ない、なぜだ」という苦痛の苦痛が、生活を支配していた。再燃そのものより、再燃が意味するものに苦しんでいたのです。
まなぶ先生
教子先生
瀬谷崎なぜ「良くならない」が希望になったのか。3つの要素
1つ目は、回復の物語から降ろしてくれたことです。「良くならない時は良くならないから」と言われたおかげで、その症状は自分ではコントロールできないものだと明確になりました。本来は良くなるはずなのに自分は良くならない、という苦痛の苦痛から解放されたのです。
2つ目は、目標の再設定です。当時の瀬谷崎は症状の消失をゴールにしていたので、再燃するたびに、あるいは再燃している間は毎日、失敗していたことになります。医師は「どうせ一生付き合っていくんだから、ずっと続けられることから始めてみたら」と提案しました。ゴールが症状の消失から症状との共存に置き換わると、再燃はもう失敗ではなくなります。慢性疼痛のガイドラインが、痛みの消失そのものよりQOL(生活の質)の改善を目標に置いていることとも重なります。
3つ目は、何もしなかったことです。医師は新しい生活指導も、新しい薬も試しませんでした。正直に言えば、何もしていません。ここに、鷲田さんのもう1つの言葉が関わってきます。
無条件のプレゼンス。何かをするのではなく、そこにいること
プレゼンス(Presence)とは、そこにいること、居合わせることです。何かをしてあげるのではなく、ただそこにいる。「たまにはラーメンもビールもいいんじゃない? でも僕がちゃんと診てるから大丈夫」という言葉は、まさに無条件のプレゼンスでした。
もしこれが「僕の言うことをちゃんと聞いてくれるなら大丈夫だよ」だったら、条件付きのプレゼンスになります。条件がつけば、守れなかった日にまた失敗が生まれる。調子がいい時も、へこんでいる時も、暴飲暴食して悪化している時も、医師は「ま、そんなこともあるよね」と、無理な共感も説教も論破もせずに受け入れてくれた。その積み重ねがあったから、今の瀬谷崎は大丈夫なわけです。
これは「前向きな声掛けをやめよう」という話ではありません。急性外傷や、原因が絞れて介入で変わる症状なら、回復の物語に乗せるのが正しい関わりです。問題は、治癒という概念がない症状の患者さんにまで、同じ物語を当てはめ続けてしまうこと。目の前の患者さんがどの物語の中にいるかを見てから、言葉を選ぶという順番の話です。
まなぶ先生
教子先生
瀬谷崎苦痛の苦痛を減らすことも、私たちの仕事の1つ
私たちは日頃の臨床で、何かをしてあげようと思います。ただ、「必ず良くなるはずだ」「良くしなければいけない」という強い信念が患者さんに伝わり、本当は良くなるはずなのになぜ、という絶望や恐怖を作り出している可能性は、軽視されがちではないでしょうか。
「その痛みはあっても大丈夫ですよ。僕がちゃんと見ていますから」。これを言えたら、どれだけの人の不安を減らし、QOLに貢献できるか。その価値は小さくないはずです。もちろん治ればそれに越したことはありません。ただ、苦痛の苦痛を解消することも、私たちの重要な仕事の1つです。
早く良くしようと一生懸命になって患者さんを絶望の深いところまで連れていくのではなく、「すぐには治らないから気楽にいきましょう」「私がいるから大丈夫ですよ」と希望を見せる。瀬谷崎が憧れているのは、そういうゆったりとした医療者だそうです。
まなぶ先生
教子先生
瀬谷崎





